七戸町出身及びゆかりのある4人の画家を中心に、その作品、関連する資料などを収集し、調査・研究を行って参ります。
「走馬」 制作年不詳、軸装・紙本墨画
1892年(明治25年) | 7月3日、山形県米沢市の旧士族の家に生まれる。本名二郎。 父が獣医であったことから、生家にはいつも何頭かの軽種馬が飼われていた。幼い頃から馬と共に過ごす環境のなかで、自然と馬に魅せられ、紙と筆さえあれば1日中厩で過ごしたという。 |
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1899年(明治32年) | ロンドン土産に伯父からもらった、イギリスの画家ヘンリー・ハーネーの馬の画集に感動、画家を志す。 |
1913年(大正2年) | 3月、山形県立米沢興譲館中学校卒業。 |
1921年(大正10年) | 3月、東京美術学校(現在・東京芸術大学)西洋学科を卒業。 在学中は図書館にある資料をもとに馬の勉強に没頭、卒業と同時に自分のイメージにマッチした名馬を求めて、国内はもちろん中国、台湾などを奔走。 |
1923年(大正12年) | 北海道での取材の帰途、奥羽種馬牧場(現・家畜改良センター奥羽牧場)にて、名馬と出会う。七戸町成田旅館に投宿。 以後、サラブレッド、アラブ種の多い名馬の産地・七戸町を第二の故郷として腰を据え、数多くの作品を描き続ける。 4月、皇太子殿下(昭和天皇)に「落雷の一瞬」を献上。 |
−晩 年− | 町内にある天王神社につつじの杜を造成すべく、一時筆を捨てて尽力。現在、七戸町の名所となり、5月中旬の開花の時期は町内外からの観光客で賑わっている。 地方にいながら絵筆一本で生き、「馬描きの華陽」と称され親しまれた画家。特に馬事関係者には有名で、県内外の馬事関係機関には油彩・墨彩等で描いた馬の絵が多数残されている。東京都府中市・東京競馬場内の「JRA競馬博物館」メモリアルホールにも、華陽が描いた顕彰馬「クモハタ」(油彩)が収蔵されている。 |
1979年(昭和54年) | 6月24日永眠。享年87歳。 |